節分と言えば豆まきですが、よく考えると恐ろしい鬼を退治するのに豆ではいささか心細い気もします。 節分の由来や起源を歴史的な時系列に沿って整理してみると、豆がまかれる理由が見えてきました。
1.節分に豆まきする由来【神話・言い伝え編】
節分に豆まきする由来は、多くの学者や研究者がそれぞれの立場から様々な見解を発表しています。 それらをまとめると概ね以下のような共通項を持ちます。
- 節分に豆をまくようになったのは室町時代以降である
- 「魔目」「魔滅」という語呂合わせにより、魔物(鬼)を退治する物として「豆」がまかれた
- 豆の発芽する様子が「生命力」や「再生力」を意味した
- 豆に呪力があるとされた
- 昔、鞍馬に住んでいた鬼を有志が退治しようとしたとき、毘沙門天が現れ「大豆を鬼の目に投げよ」と教えたという言い伝えがある
こうした内容から、豆は鬼が嫌う物とされ、節分に豆がまかれるようになりました。
コラム:「鬼」の語源は「陰(おん)」
「鬼」の読み、「おに」は昔の日本では「陰(おん)」を意味していました。 現代でも「陰(かげ)」や「陰気(いんき)」として使われることからもイメージされるように、「目に見えない邪気=おに」と言ったのです。
2.節分に豆まきする由来【中国の歴史編】
節分の起源は「中国の風習と考えられています。 昔の中国では、季節の変わり目である節分には、邪気(鬼)が出やすいと考えられていました。
節分は本来、季節の変わり目毎、年に4回あります。 中でも旧暦における2月の節分は、春の到来、つまり新年を迎える重要なタイミングです。 そこで2月の節分はより重視され、鬼を祓い、福を迎えようとしました。
鬼を払うための儀式は宮中行事となり、「追儺(ついな)」、「鬼やらい」と呼ばれました。 儀式では以下のことを行なったと言われます。
- 桃の弓と葦(あし)の矢を使って邪気(鬼)矢を射る
- 五穀や小豆、小石をまく
といったことが行われました。 この「まく」という儀式は現代の節分の豆まきにとても近い行為ですが、実は「桃の弓」も豆まきの由来を知る重要なキーワードです。
桃は中国が原産の果物で、中国では昔から霊力や呪力があると信じられていました。
桃は春に咲くことからめでたいイメージがあることに加え、桃の強い香りを鬼が嫌がると考えていたからです。(鬼と桃の関係については後述します)
3.節分に豆まきする由来【日本の歴史編】
中国での鬼を払う儀式が日本に伝えられ、始まったのが706(慶雲3)年、文武天皇の時代です。 この年、疫病の流行により多くの百姓が亡くなりました。
そこで疫病(災い)を祓い、福を招くために中国(当時は「唐」)から伝わっていた「追儺(ついな)」、「鬼やらい」 に倣ったと言われています。
その後、平安時代(794年〜1185年頃)に宮中行事として定着し、室町時代(1336年〜1573年)に現在と同じ2月の節分行事として、豆をまくようになりました。
中国伝わった追儺でも、小豆をまく行為はありましたが、これとは別に、日本でも古来より厄祓いのために「散米(さんまい)」という米をまく神事がありました。
つまり節分の豆まきとは、中国由来の「追儺」と日本古来の「散米」がうまく合わさって、日本独自の風習として広がっていったのです。
節分の豆まきが一般にまで浸透したのは江戸時代ですが、節分の由来である「追儺」が中国から伝来して1,000年かけて進化していったと考えると、感慨深いものがあります。
4.古事記・童話に見る鬼と桃の切っても切れない関係
古代中国における桃への特別な思いは、様々な言い伝えや物語によっても窺い知ることができます。
最も有名なものの一つが、「最遊記」です。 孫悟空が管理を任されていた「蟠桃園(ばんとうえん)」の桃を食べたことで、不老不死を手に入れます。
鬼を祓い、不老不死を得られる…それほどまでに桃は特別視された果物だったのです。
桃を特別な存在とする考え方は、中国文化の到来とともに日本にも伝えられました。 追儺の行事で桃の弓が使われたのもそうですが、古い物語にも登場します。
古いどころか、現存する日本最古の歴史書『古事記』です。
亡くなった妻、イザナミノミコトに会いたくなり、イザナギノミコトが黄泉の国(よみのくに、死者の国)に行ったシーン。 イザナギノミコトは、イザナミノミコトとの約束を破ったことで、恐ろしい化け物たちに追われます。
黄泉の国から地上に上がる坂の麓まで逃げて来たところ、イザナギノミコトはそこに桃の木が生えていることの気づきました。 生っていた桃の実を3つ取って投げつけると、ようやく化け物たちが逃げて行った、という話です。
そしてもう一つ、桃と鬼の話があります。
あの有名な「桃太郎」です。 主人公がリンゴでもなく、ミカンでもなく、桃から生まれたのも、中国から伝来した桃が特別な力を持つとされる考えが背景にあるのでしょう。
5.豆は桃の代表品
桃は神聖な存在とはいえ、収穫時期が限られる上に傷みやすく、保存の効かない果物です。 それを2月の節分という特定の日に、重要な宮中行事で必要数量を揃えるのは至難の業…
そこで桃は木を弓に加工して使い、投げるのには豊富に揃えやすい豆を使ったという説もあります。
つまり、節分でまかれる豆は、桃の代用品だったというわけです。
ただ冷静に考えると、現代でも贈答品としての地位を確立している桃を投げつけるなど、もったいなくてとてもできません。
何より投げた後の状況を想像するだけである意味恐ろしいので、豆を投げるのは理にかなっていますね。
【まとめ】節分に豆まきする本当の由来
- 節分の豆まきは古代中国で行われた「追儺(ついな)」「鬼やらい」という宮中行事に由来する。
- 五穀や小豆、小石をまいたいた中国の風習と、散米(さんまい)という米をまく日本の神事が合わさり、豆をまくようになった。
- 中国では桃は神聖な果物で、鬼を払うとされた。
- 桃は「西遊記」では不老長寿の食べ物、「古事記」では化け物を追い払う食べ物、「桃太郎」では鬼退治をする青年が生まれた物として描かれている。
- 調達や保存のしやすさから、桃の代用品として豆が節分でまかれるようになった。
桃の代用品と言っても、冒頭で紹介したように、豆も縁起の良い食べ物です。 代用品という立場をはるかに超えてすっかり定着したのは、その“マメさ”からかもしれません。